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2009年1月

2009年1月26日 (月)

新国立駅のエレベーターは中央線で最大。旧駅舎が復元されると、ホームから大学通りは見えなくなる!!

 本日、新国立駅のエレベーター工事を行った東日本旅客鉄道株式会社東京工事事務所に問い合わせてみました。そして、新国立駅のエレベーターは、中央線では今までに造った事がない大きさのエレベーターである事を確認しました。東京駅よりも新宿駅よりも大きい訳です。

 中央線立体高架事業の中で、他の駅は13人乗りエレベーターの設置でした。国立駅では18人乗りにするため、国立市は上下線2基で2,200万円の差額を払う訳ですが、何億円もかかるエレベーター工事費用にあっては極めてお得でした。

P1253451  一方、ホームの高さは地上9メートルですが、円形公園と新駅との間に復元される旧国立駅舎は高さ12メートル!

 つまり、もし旧駅舎が復元されると、ホームのワイドビューから真っすぐのびる大学通りは、旧駅舎の裏側にじゃまされて見えない訳です。

 これって、極めて残念です。
 旧国立駅舎を復元した場合としない場合とで、ホームから見える風景がどう違うのか、予想図を作成し比較してみてはどうでしょうか。

 ちなみに、写真上(新下りホームからの眺望)の右端の建物は、写真下旧駅舎の左側の駅前スタンド「スパイス」です。比較すると旧駅舎を復元した場合の様子が想像できます。

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2009年1月25日 (日)

バリアフリーのモデル駅になりそうな新国立駅

P1253463  1月25日、久しぶりの晴れ!

 午前中、議会レポートに載せる写真を撮りに国立駅に行きました。いつも写真を撮って下さるMさんと一緒です。

 改札口で、中にいる駅員さんに、完成した下り線ホームから俯瞰する大学通りと、しょうがいしゃ団体等の要望により実現した、中央線では初めての大型エレベーターの写真を撮りたいとお願いしたところ、心よく了解してもらいました。

 エレベーターについては、「ああ、ストレッチャーがそのまま入るエレベーターの要望でしたね」とすぐに応えていただき、2年前の当事者の願いが合言葉のように駅員さんに浸透している事に感動しました。

 市民の要望を受け、新国立駅にストレッチャーがそのまま入る18人乗りの大型エレベーターが誕生した事は、本当はもっともっとアピールしても良いと思いました。

 また、エレベーターの位置もホームの真ん中にあり(通常ホームの端にある事が多い)、少なくとも中央線ではバリアフリーのモデル駅になれそうです。
 1階改札口付近に予定の多機能トイレも、2年前にしょうがいしゃ団体が充分な広さを要望していますので完成が待たれます。

P1253461  45メートルのワイドビューからは、円形公園と真っすぐにのびる大学通りと、並木沿いの低い店並が見通せ、素晴らしい景観でした。

 この景観こそ、「降りてみたい!」と思わせる眺めで、春の桜、夏の新緑、秋の紅葉、冬は冬の木立を眺めながらホームで日向ぼっこと、一年中魅力的です。

 しかし、旧国立駅舎が復元された場合、折角の新しい景観はどうなるのだろう。目の前に広がる真っすぐの大学通りを見ながらふと思いました。

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2009年1月20日 (火)

行財政健全化方策案として出てきた公立保育園の2園の民営化問題について

 複数の方々から、公立保育園の民営化の話が出ているようだが、どういう事情でそうなったのか教えて欲しいとの問い合わせがあります。
 問い合わせの多さは、議員10年間の経験から言っても、かなりの反応です。
 しかし、1月9日、関口市長の行財政健全化プランに対する全員協議会でこの問題を取り上げたのは私ひとりでした。
 そのギャップも不思議な気がしました。

 十二月議会では関口市長から今後の行財政健全化方策案が示されました。
 その中で、予測される10億円の不足に対し、高齢者に対する食事サービスの負担金の増、家庭ゴミの有料化(2億円捻出)、下水道使用料値上げ、国民健康保険税の6.8%値上げ(9千万円捻出)等とともに、公立保育園民営化(4園中2園を民営化し2億円捻出)が財源捻出方策案として出された訳です。
 この公立保育園民営化案が出てきたのを見て私は非常に驚きました。

 保守の市長ならさもありなんところ、まさか市民派市長が、公立保育園の民営化を打ち出す訳がないと思っていたからです。真に保育行政に責任をもつのなら、直営の保育園を持ち、民間保育園と連携を密にして、複雑多様化する社会状況に対応できる条件整備が必要です。

 市長の言い分としては、「保育の質を確保しつつ」民営化との事ですが、2億円削減して同じ質というウマイ話ってあるのでしょうか?

 「民営化するとコストダウンできる」という考え方のいきつく先に“派遣村”があるのだと考えると、もういい加減、コストカットのための民間依託はやめるべきと考えます。
 十二月議会では、公立保育園2園の民営化はとんでもないと意見しました。

 1月5日付けで全議員宛に「くにたち保育問題連絡会」(保問連)からお便りがきました。
 内容は、「2007年の市長選に際し、保問連は立候補予定者に公開質問状を提出し、質問のなかで、公立保育園の民営化の是非を問う項目を設けた。現・関口市長は、『公立保育園の民営化には反対』と回答した。自治体が保育の実施責任をもつことの重要性を認識しているものであり、保問連としては、その姿勢を高く評価した。今回の動きは大変不安で、懸念している」と書かれてありました。
 「今になって何故!」ということです。

 1月9日の全員協議会でその事を質問したところ、関口市長はどうやらその事を覚えていなかったようでした。

 保問連さんとも話合って再検討する旨の答弁を得た事に一安心はしたものの、ある意味、「記憶にない」という市長の正直な答弁に、市長選挙に臨んだ時と、就任してからの2年間で、自身も気づかない内にぶれてしまっていた事は恐ろしいと思いました。

 今からの保育行政は、ネグレクト(育児放棄)や児童虐待にも対応できなくてはなりません。こどもの親ときちんと向きあえる力量をもった保育士の存在が不可欠です。
 今ほど、キャリアのある専門的人材を育てる事を「ムダ」と切り捨てる発想を改めることが求められる時代はありません。
 その事が、若い人達が働く事に希望を見い出す事にもつながると考えます。

 現場を持たない行政は、実感する苦労がなくなる分、責任転換できる分、無責任でいられると私は思います。
 私は公務員の仕事とは、市民に直接の責任を負う仕事と考えます。
 「直接」の重さをもっともっと自覚して、こんな不安定な時代だからこそ公務員の責務をフルに機能させてもらいたいと強く願います。

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2009年1月15日 (木)

2009年は「生きる」という事と向きあうことから始まりました

 国内では、仕事も住まいもなく派遣村で不安の年越しをされた方々が多数おられ、またパレスチナのガザ地区では、国連を無視してのイスラエルの攻撃により、多くのこども達のいのちが殺戮されました。
 不況と戦争という重い幕開けに政治の愚かさを歎きつつも、まずは足もとの地域で、生存権の保障に向け、「不退転」の覚悟で踏ん張るしかないと思っています。

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 さて昨年末からしばらくブログを休んでしまいました。

 休んだ訳は、長崎の母の容態悪化の知らせを受け、12月24日~1月6日まで急遽帰郷していたためです。

 全ての予定をキャンセルし、覚悟しての帰郷でしたが、母は一時の危機を脱する事ができました。担当医師からは、奇跡的な生命力ですとの言葉をいただきました。

 89歳になる母は5年間、介護療養型病院に入院しています。
 二人の姉の毎日の献身的介護と、病院のきめ細かいケアの支援を受け、何より本人の生きようとする意志力により、この5年間を、生きぬいて来れたような気がします。

 今回は心不全と肺炎をおこし、尿も出にくくなって体がむくみ、意識も混濁している状況でかけつけました。かけつけた時には横になったままで、まるで全力疾走でフルマラソンをしたかのような苦しい息使いでした。
 私はそのサポートのような気持ちで、毎日病院に通いました。

 峠を越え、1月6日に国立に帰ってきましたが、母があのまま逝かず、頑張って生き続けてくれたおかげで、私はほんの少しだけでも付き添いができ、母だけではなく、他の寝たきりのお年寄りやその家族の方々とも出会う事ができました。
 万全のケアを受けつつ、懸命に生ききろうとする母達の姿はいのちの尊厳を教えてくれました。

Sh350053  介護療養型の施設は2年後には廃止されます。
 「国は現場をわかっていない!」と母の病院の院長は嘆かれました。姉は国の廃止決定を聞いた時、泣いたとの事です。
 医療面と介護面のサポートがあれば、家族も何より本人が、自分の生を慈しみながらまっとうできます。在宅でサポートする体制が未整備のまま介護療養型施設をなくすのは間違っていると頭では思っていましたが、今回の事で実感となりました。

 議員なってからこんなに長く郷里にいたのははじめてです。母のおかげです。
 方言も食べ物もきょうだいの感覚も、蘇りました。
 大阪から帰っていた兄が、お正月のお雑煮を前に、「こうやって、みんなで会う事ができたのは、おふくろからのお年玉や」と挨拶をのべました。
 その通りだと思いました。
 【写真は、母の病室から眺めた長崎の風景です】

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 6日に帰ってからは──
 6日夜、「基地にNO!アジア・女たちの会」の集まりに参加。
 7日、明和マンション裁判調査特別委員会
 9日、行財政健全化についての全員協議会
Sh350068  10日~12日、姪の結婚式で娘と二人で京都へ、結婚式の後の時間を使い、娘のすすめで嵯峨野愛宕念仏寺に。
 【写真は、念仏寺の猫を抱いたお地蔵さん】
 14日、谷保天満宮近くの仮屋坂遺跡の説明板設置の要望に同行。
 6時~ セーフティーネットについての社会福祉協議会としょうがいしゃ団体との話し合いに参加。
 15日、明和マンション裁判調査特別委員会

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 夜は22歳になった息子の誕生日を祝いました。
 久しぶりのカラオケで、下手だけど好きな歌、『人生の扉』、『川の流れのように』、『無縁坂』、『あの鐘を鳴らすのはあなた』、『イムジン河』を歌い、娘から「お母さんの歌う歌って暗いね~~」と言われましたwobbly

 また今日からブログを再開します。
 時々は見てくださいね。

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