« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »

2009年4月

2009年4月17日 (金)

派遣村と市役所をつなげていのちのセーフティーネットをつくりたい

 4月8日、都心で開かれていた派遣村にボランティアスタッフとして手伝っていたTさんから、国立から自転車で相談に来られた方がいるが国立市役所の対応はどうか?の電話が入った。そこで、担当の健康福祉部福祉総務課長(この4月に異動したばかり)に派遣村からの相談への対応について問い合わせ、更に丁寧な対応をと要請した。
 結果、再任用となった前福祉部参事のOさんがケースワーカーのスーパーバイザーのような形で関わってくれ、また当事者にはくだんのTさんがサポートし、その方の当座の落ち着き先をご紹介できた。
 市役所本来の使命(いのちを守る)をまっとうするには何人もの人が必要だと思った。ケースワーカーと行くところもない困り果てた当事者の1対1の関係では両者ともつぶれるおそれがある。ケースワーカーにも当事者にもサポートが必要と実感した。

 18~19日、府中で派遣村が開かれる。
 あいにく私は別用があり行けそうもないが、派遣村村長は、長年、府中で労働問題やいじめ問題や人権問題に取り組んでこられた松野さんだ。私もこれまで松野さんに幾度となく相談にのってもらった事か。また国立からも相談者が行くかもしれない。その時はまた私も一人一人に丁寧に対応できるよう、自分の位置で動いていきたい。

 ちなみに、21日夜は事務所にて、派遣村でしょうがい・病気の相談にあたっている方にお話しを伺う。何と派遣村に相談に来られる3人に1人は何らかのしょうがい、もしくは病気だという。
 格差社会とは社会的弱者を切り捨てる社会だ。仕事の前の生存権そのものがおびやかされているのだと考えると、地域でのセーフティーネットを早急につくらなければと思う。

 セーフティーネットとは、綱渡りの下に張られた網を指す。
 まさしく現代社会は綱渡りだ。足を踏み外して落ちた人も、綱に必死でぶら下がっている人も、落ちても安心の弾力性のある、しかも強靭なセーフティーネットをみんなでつくりたい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年4月 9日 (木)

桜吹雪の中で、友人讃歌!

 満開の桜が散る時を迎え、花吹雪が舞いはじめた。

 一昨日(7日)の午後、国立から府中に引っ越したPTA時代の友人と会う。
 府中の彼女の新居そばの米軍基地跡地に、国立衛生研究所が移転してくる事になり、そこで細菌研究もするとの事で、住民による反対運動が起きているが、引っ越して間もないにもかかわらず彼女はその中心的存在になっている。

 何も知らないで引っ越した所で「トンデモナイコト」が起きている事を知ってから、周りに知らせなくっちゃとか、もっと情報公開してもらわなくてはと、幾度となく住民説明会を求め、実現してきた。陳情も含めこれらの市民の動きに応えるかたちで議会も市長も動きはじめている。
 国が、地方自治体に国の施設を建設する時には最低でも住民の合意は不可欠だろう。

 昔から感性の良さと勉強熱心と、頑張り屋のところには脱帽していたが、新しいところであっという間につながった、その住民運動の仲間づくりの確かさには恐れいった。

 夕方は、宮城晴美さんの講演会をおこなった「基地にNO!アジア・女たちの会」のメンバー(といっても3人)で会う。
 その内の一人はひとり出版社を続けている梨の木舎の羽田ゆみ子さんだが、二人とも、仕事に運動にとパワフルに動き回っている人たちだ。しかし、その忙しさを感じさせない。おしゃれだし、話している中身は濃いのに優雅にすら見える。やりたい事とやらねばならない事とが一致しているのだろう。いかにも「私はやってます!」のバリバリ感がないのが好きだ。

 沖縄高江に座り込んでいる住民が国から訴えられた裁判のDVDを私の事務所でみて、防衛省に取り下げの要請書をまた持っていく事にした。

 夜は、友人のピアニストとマリンバ奏者と久しぶりに会う。
 彼女達は、その高い音楽性をもって、コンサートだけではなく、地域でこども達や高齢者の方々やしょうがいのある方々への音楽活動を続けている人たちだ。

 一日を振り返り、素晴らしい友人達との出会いに感謝した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月 7日 (火)

花は咲けども、心は痛むその訳は

 本日も満開の桜。

 昨日来、新聞、テレビでは、大本営ばりの「北朝鮮からミサイル発射」の報道ばかりで、嫌になる。テレビを見ながら、「通信衛星じゃないの~」と噛み付く。隣りの息子に、「『北朝鮮は通信衛星と言ってるが、日本はミサイルだと思っているもの』と、正しく言ってもらいたいよね~」とつぶやく。

 画面では、イージス艦だの、沖縄からは米軍のパトリオット戦闘機が写る。沖縄では大丈夫なのか?
 また、私の友人の子ども達が通う、朝鮮学校のこども達の登下校は大丈夫なのかが気にかかる。前回の時は、電車で日本人から殴られた子どもがいた。

 風評もコワイ。何が真実なのか、報道を鵜呑みにせず、自分の頭で考える事が大切だ。

 昨日のブログの続きで近況報告です。

 4月3日
 社会的事業所「ややこし家(や)」さんの入社式に参加。
 汽車ポッポ公園に面するややこし家さんには市内一素敵なユニバーサルデザインの市民トイレがある。公園の親子連れは助かるだろう。
 この日は桜の下で、餅つきをし、赤飯をたいて、ご近所の谷保の市場から、鶏唐揚げや餃子、ぎゅうすじ煮込みなど並べ、今年武蔵台特別支援学校を卒業したYさん等、2人の入社を祝う。
 帰りに北海道のジャガ芋と、高知のごっくん馬路村と、大阪のピースクラブのスコーンを買う。

 その帰り、谷保駅北口の線路沿いにあるくじら雲が開いた「たまり場・そら(宙)」に寄る。
 ここも、リサイクルショップと喫茶とパソコン教室等する予定。店の顔のあべさんの人柄は天下一品で、以前、社協の自立促進センター職員でもあり、今後の活動が楽しみである。ここでは、リサイクルのCDを3枚と手作りのバックを買う。

 4月5日
 午後、芸術小ホールで開かれた、ラトルスネークアーニーさんのさくらコンサートを聞きに行く。
 ネイティブアメリカンの血を引くラトルさんの歌声は胸にしみ、思わず涙ぐみそうになる。『テネシーワルツ』、『朝日のあたる家』、『リリーマルレーン』、『サマータイム』、『スタンドバイミー』等など、カントリー調の歌声は素晴らしかった。
 来年も是非行きたい。

Sh350085  夜、事務所でコラージュをやる。
 議会が終わり、やはりたまったストレスを出し、本来の元気を回復したかったのだろう。好きな大木の写真や、海のクジラの写真や大きな花を貼って遊ぶ。
 終わったら、スッキリしていた(写真)

 その後、夜中2時まで、議会が出す議会便りの原稿書き。

 4月6日
 多摩障害者スポーツセンターでの国立市しょうがい者団体等連絡協議会に参加。
 4月22日に議員有志で行う、甲州街道の歩道の狭さの実地調査の協力を依頼。議員は実際に車椅子に乗ったり、押したりして調査することにした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月 6日 (月)

桜が満開となりました。

P4063525  「花に嵐」、「花冷え」の言葉通り、花には試練の様な状況の中で、満開に咲き、雨にも風にも寒さにも負けず、しっかり枝から離れず、そして、自らの内から育まれてくる若葉の芽吹きによって散っていく、その生命力に感動します(写真は国立駅下りホームからの眺めです)。

 さてこの間のご報告です。

 3月28日
 沖縄から歴史研究者の宮城晴美さんをお招きして「母の遺したもの~沖縄・座間味島『集団自決』の証言~」の学習会を開きました(国分寺市本多公民館)。

 3月30日
 立川クレストホテルで議員・理事者による退職者の送別会が開かれました。
 議会事務局長の生沼さん、社会福祉協議会に出向していた大沼さん、福祉部参事の奥村さん、都市振興部長の田辺さんの4人が退職されました。

 3月31日
 「高齢者福祉を考える会」の遠藤喜美子さん達と、ふれあいコンサートの事や今年の活動についての懇談を兼ね、「夏の家」で昼食会がありました。昔の家を活かした素敵なお店でした。
 午後は、先輩の井上スズさん宅に議会の報告にいき、歓談し、昼食会から連続して、80代のパワーに元気をいただきました。
 夜は一歩ハウスの泊まりサポートでした。

 4月1日
 午後から中野区議の武藤有子さん、国分寺市議の亀倉順子さんと、参議院議員川田龍平さんを訪問し、懇談しました。国会議員と地域をいかにつなぐかが今後の課題だと思いました。

 夜は事務所にて、久しぶりの「こぶしの木倶楽部」を開きました。
 今回は石川節子さんに「失われた子ども観」をテーマにお話しを伺いました。
 石川節子さんは長年、小学校保健室の養護教諭をされていました。
 国立でも六小等で、性教育やこども達の心の声に耳を傾けながら勤務をされました。が、こども達や教員への管理強化の中で、定年を待たずに退職されました。
 以後は新宿山吹高校、不登校のこども達の居場所である東京シューレの養護教諭を勤められましたが、体調を崩され昨年辞められ、今は国立で保護司をなさっておられます。
 石川さんは、こどもが五感をフルに使うこども時代を送れていない事の問題を指摘されました。

 4月2日
 都心から長野県原村に移り、自然の中で野菜をつくり暮らしている私が尊敬する方と、在日コリアンの友人と3人で会いました。
 60歳を過ぎていかに生きるか、高齢期からの女性の生き方も自立の問題として大きいなあと感じました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月 1日 (水)

昨夜はボランティアの泊まりサポートでした。

 昨夜は月一回の「はじめの一歩ハウス」の泊まりサポートでした。

 いつもの様に夜11時に入り、残った洗濯ものを干し、夜勤室のベッドで寝ます。
 朝6時少し前に起き、朝ごはんのおみそ汁と卵焼きを作ります。今日は弁当のおかずが一品足りないという事でタケノコとシーチキンの炒め物も作りました。着替えのお手伝いをして、彼女の好きなパーマンのCDを聞きながら一緒に朝ごはんを食べ、食器を洗い、8時前にお先に行ってきますと挨拶して一歩ハウスを後にし、矢川の自宅まで帰ります。

 7年目に入りますが、朝帰る時にはいつも、ある感覚に包まれています。
 重い知的なしょうがいを抱えながらも、一日一日を丁寧に明るく生きる彼らと、彼らをサポートする仕事を選んだ若い支援者達のかもし出す暖かな空気に元気をもらい、やっぱり私の原点だと思います。

 理屈ではなく、実感として沸き上がるこの感覚をどうにかして言語化したいと思います。なぜなら、それが地域福祉の原点であるような気がするからです。

 帰り道、歩きながら、もう一つのことを考えていました。
 最終本会議の2日前、ある方の自殺の知らせが届きました。その方は元ハンセン病の患者でした。その方と一緒に国立の仲間と数人で車を借りて一泊で温泉旅行に行った事があります。目の不自由な彼女が、川のそばまで行き、川の音にとてもとても喜んでいた姿に感動と痛みを覚えたものです。

 その彼女が、70歳をとうに越えた今、自ら逝ってしまったとは、体調を崩されていた事は聞いていましたが、今年も年賀状をいただいたのに、前回選挙の時にも励まして下さったのに、会いにもいかず本当にごめんなさいと、歩きながら涙が溢れました。やっぱりこの涙にも痛みとその奥に怒りがあります。

 昨年末、友人の息子さんが20代半ばで自殺しました。とても素敵な心根の良い頑張り屋の若者でした。派遣会社のマネージャーだったそうです。残された友人の気持ちを思うと、心がひきちぎられる様に痛みます。

 二人の「いのち」からのSOSに応える事ができなかった自分も含めてのこの社会を、少しでも応える事のできる社会や自分にならなければと思いました。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »