2009年5月14日 (木)

防衛省に行ってきました。

 「基地にNO!アジア・女たちの会」の6人で防衛省に出向き、沖縄高江の問題について要請書を提出しました。
 参議院議員今野東さん(民主党・沖縄担当)の秘書さんが手配してくださり、防衛省側も担当者6人が応対しました。

 わずか30分間でしたが、「沖縄の北部に広がる世界遺産と言われるヤンバルの森が、戦後、米軍の世界でただ一つのジャングル演習基地とされ、その中でどれだけの武器が使われたか。国は県に委託する形で環境影響評価をし問題なしと発表したが、現実に住民が暮らす自治体(この場合は村)による独自の立ち入り調査を認めるべきだ」と意見してきました。

 枯葉剤が使用されたとの話しや、事故多発のヘリパット基地の危なさと騒音の問題もあり、「何も問題なし」とする国の環境アセスメントは信じがたいものです。また、「住民に最大の配慮」と言いながら、住民説明会では一方的な説明のみで、公式に住民の声を聞く場は開かれていません。交付金を盾にとって合意にもっていく「協力しなければお金は出さない」という飴と鞭のやり方はヒドイと思います。

 座り込むしかない住民の思いが、村役場の職員と同じ「公務員」であるはずの防衛省職員になぜ伝わらないのでしょう。
 厳重な警備に守られた都心の高層ビルの中で進められる「安全保障」という名の軍事計画は、対象とされる地域に暮らす人達のリアル感とはほど遠いのだと感じます。
 現場の市町村は、国や国の事務を権限まで委譲されて行う都道府県に対して、もっとものを言うべきです。言わなければ、巨大な権力を持ちながら実感を持たない国は、頭だけの政治力学で事を進めかねません。国をもっと暮らしの現場に近づけないといけないと強く感じました。

 終わってから、同行してくれた川田龍平事務所の秘書さんからいろいろなアドバイスをもらいました。国会議員が遠いところにいる人ではなく、私達一人一人の代表なのだと実感した瞬間でもありました。

 昨日は2度目の要請でしたが、相手の職員に顔を覚えてもらうまで、これからも行こうと思います。これは市役所と同じです。人と人として向きあっているのだと感じられるまで行きたいと思いました。

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 夕方からは、しょうがいしゃ団体と4月の人事異動で代わった福祉総務課長、しょうがいしゃ支援課長、係長との顔合わせを兼ねた話し合いがあり、傍聴させていただきました。

 午前中の防衛省との話し合いとは180度違う、リアルな手応えのある血の通った話し合いがそこにはありました。
 暮らしの現場だからこそ譲れないと本気で怒る市民と向きあう職員の姿を見て、この姿が公務員本来の姿なのだろうと思いました。

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2008年12月22日 (月)

やっぱり、動いて、自分の目で見て、判断するのが一番大事と実感!

 怒涛のような十二月議会が終わり、12月21~22日、娘と一緒に熱海へ一泊の保養にでかけました。
 きっかけは、“熱海、一泊7980円で魚料理!”という新聞広告が目に止まり、疲れ気味だし、年に一回の自分へのご褒美と、福祉施設の激務に耐えられず支援員の仕事を辞めた娘への慰労も兼ねて行く事にしました。
 国立から離れた時間の中で、この間の事をあれこれ振り返りました。
 結構いろいろありました。

10日】 保存樹木のこと
 保存樹木の剪定でトラブルのあった件で、市がお願いした樹木専門家の農工大の名誉教授の診断に立ちあいました。大変興味深いお話を聞くことができました。保存に当たっては、やはりどう保存すれば良いかというビジョンが必要と感じました。

12日】 福祉保険委員会
 今年4月から保険料の徴収が始まった75歳以上の後期高齢者医療保険において、9月の段階で滞納者が200人以上いる事が判明しました。その方々は、滞納が続けば病院にかかれなくなる訳で、早急に対応を協議せよと意見しました。

13日】 川田龍平さんのお話しを聞く会
 30人ほどの方が集まり、環境委員会に所属する川田さんに、様々な要望が出ました。国会議員と市民がこんな近い距離で直接話しあうのは無所属だからこそと感じました。

15日】 沖縄高江の人達に代わって行動、介助者不足のこと、男女混合名簿復活のこと
 霞ヶ関の衆議院議員会館に行き、沖縄から選出された衆議院議員、照屋寛徳さんの優秀な秘書の菊里さんにお願いして、首相と防衛大臣に宛てた「沖縄高江の米軍ヘリパット基地建設反対」の要請書を担当局に手渡しました。これは、梨の木舎の羽田ゆみ子さん達の「基地にNO!アジア・女達の会」の行動の一環です。直接渡すと回答も得られ、質問もできるので、遠くてなかなか来れない高江の人達に代わって私たちにできる事があるのだなと感じました。

 夕方からは、介助者不足に関し緊急対応について話し合う国立のしょうがいしゃの方々の集まりに参加しました。

 その後、男女混合名簿の復活に向けての保護者・市民の話し合いに参加しました。
 こどもも、教員も校長も保護者もみんな、管理されたり締め付けられたりで、学校がだんだん窮屈になっている事を実感し、もう少しゆとりと余裕が欲しいなあと感じました。男女混合名簿は、人権が守られ、男女が平等で、しかも一人ひとりの違いが尊重される教育の具現化であると思います。

16日】 明和マンション調査特別委員会、「はじめの一歩ハウス」泊まりサポート
 午後いっぱいは明和マンション調査特別委員会でした。
 この日の午前中、どうしても気になることがあり、最高裁判所民事事件係に電話して質問しました。
 質問内容は以下の通りです。
 「最高裁への上告のタイムリミットの2007年1月4日(この時点では原告の明和地所も国立市も上告しない事では一致していた)、5人の補助参加人が上告を行った。その上告申請により、行政は、予定していた翌1月5日(高裁判決が確定した場合の賠償金支払いの開始日)の支払いが『できなくなった』と答弁しているが、果たして正しいのか? 本当は支払う事はできるのに支払わなかったのではないか?」
 答えは以下の通りです。
 「原則的には賠償金の支払いと裁判は別物。従って、もしも市が翌日支払って相手が受けとっていれば、金銭に関する争いはなくなったと解せられるから、被告の市には上告の意思はなかったと解せられ、残った補助参加人の不服申し立ての内容で最高裁判所は調査することになる。ただ市が被告の場合には公金となり、通常は補助参加人の上告をもって裁判は継続となるので、裁判の確定を待ったという事なのでしょう」
 つまり、支払いができないのではなく、市の判断で支払わなかったと解釈されるという事です。今回、市議会は上告を否決したのですから、補助参加人の上告があっても、市は上告できないという姿勢を明確に示すために1月5日に支払っていれば、以降の遅延金は生じなかったと考えます。

 夜は月に一度の「はじめの一歩ハウス」の泊まりサポートです。近頃中々眠りにつけない入居者(女性)の方が眠りにつくまで添い寝しましたが、これは6年間でできた信頼関係ですし、添い寝したら眠れるって、実は大事なんじゃないかと思いました。

18日】 最終本会議
 18日のブログをご覧ください。

20日】 事務所でYさん企画の「愛と自由を育む学校」
 1時間目は絵日記。2時間目は私の詩の授業で、30年前を思い出しながら宮沢賢治の『詠決の朝』を読みました。3時間目はゆるゆるリフレッシュで楽しい時間でした。

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 こう振り返ってみると、いろんな事をしながら、いろいろ考え、気づいてきたんだなあと思います。

 熱海のホテルは、想像したのとは随分違い、海も見えず、残念ながら温泉もなし! やや期待外れでしたが一晩ノンビリできました。
 新聞広告の鵜呑みではやっぱりダメだなあと思い、帰り、湯河原で下車し、海の見える源泉の日帰り温泉に入り、干物を食べたら最高でした。
 やはり何事も、直接行って、自分の目で見て、判断するのが肝心と思った次第です。

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2008年7月29日 (火)

遅れましたが、8月を前に沖縄報告を

 本日(7月29日)、知人からメールがきた。
 知人の知り合いから、「上村さん、7月に入ってブログ夏休みですか?」と聞かれたとのこと。

 バッチリ管理して下さっている方もいるのに、また日々いろいろ起きているのに、7月4~8日まで、沖縄で開かれた全国革新議員会議の報告ができない故にブログが止まってしまった。
 言い訳をお許し願えれば、胸の中にある感覚がなかなか言語化できなかったからだ。何を書いても思いを思い通りに表現できていないという思い。
 結局、感情が醸成して脳の整理が落ち着くまで寝かせてしまった。
 8月の前に沖縄レポートを残したいと思う。申し訳ないがお許しいただきたい。

【沖縄レポート】
 アメリカの9・11の後、テロを警戒して、沖縄への修学旅行が多数キャンセルされたとの報道を聞き、今こそ沖縄に行かなくてはと思いたって行った時以来、今回が2度目である。

前回は──

  • 米軍基地が島の一番良いところを広く占有していること。
  • その米軍基地をテロから守るために、日本の自衛隊が、こちらに銃口を向けて警備している異様さ(結局、アメリカが日本を守るのではなく、日本がアメリカを守るという約束が日米安全保障の実態なんだと実感した)。
  • 最後に、ウチナンチューとヤマトンチューの違い。先の戦争では「玉砕」、その後、アメリカの植民地となり、復帰後は米軍基地の7割を押し付けられ、米兵による暴行事件や米軍の演習事故があとをたたない。アメリカの次は日本の植民地か!という怒りの声が胸に迫った。自分がヤマトンチューであり、ウチナンチューから見た時、押し付けた側であり、何もしない側であり、踏んでいる側であるとの自覚を初めて知らされた(知らなかった、実感がなかったという事が、問題を他人事とする加害性の表れであり、申し訳ないと思った)。

そして、今回──

  • 集団「自決」に軍の関与はなかったとする教科書検定問題(これに対して全島あげての11万人の抗議集会が開かれ、検定意見の見直しをせまった)
  • ジュゴンが棲む美ら海、辺野古の海上基地非暴力での反対運動
  • ヤンバルの原生林、高江でのヘリポット基地増設に対する反対運動(ブロッコリーの森と言われる広大な森全てが、米軍の世界唯一のジャングルサバイバル演習基地となっている)
  • 米兵による少女暴行事件

など、話しを聞いたり、現地に伺った。

 過去の戦争から現在まで、日本本土の「捨て石」にされたままの沖縄の現状を知り、その中にあって「非暴力」での反対運動を粘り強く続ける沖縄の人達の強さと明るさ。
 そして、まぶしすぎる程に光り輝く美しい海と森、その中にある米軍基地。……そのあまりにもの明暗は、自然と軍隊、平和と戦争、非暴力と暴力の明暗そのものであった。

 高江で、お話しを伺った時に、ある議員が、
「大変でしょうが、頑張ってください。」
と発言した際、金武町の町議の方が、
「何言ってる!高江の人達は150人でアメリカ政府とも日本政府とも必死で闘っている。基地問題だけではなく、過疎の問題、高齢化の問題、産業も厳しく貧困の問題もある。日本が抱える全ての問題の縮図がここにある。それをいかに越えていくか、必死で闘っている人達に、一緒に走る事もせず外野から頑張れはないだろう!」
の怒りの声があがった。本当にそうだと思った。

 周りに森が広がり、時おりふく風は涼しい。にもかかわらず、ヘリコプターがものすごい騒音で頻繁に小学校の上を飛ぶのだという。
 常に危険と隣り合わせの日常が、この美しい森に囲まれた地域に起きている。現地に行かなくては判らない感覚だ。

 日本政府はこの豊かな自然を沖縄の人達に返すべきだ。それまでは戦争は終わった事にはならない、と私は思う。

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2008年2月19日 (火)

米海兵隊による少女暴行事件に抗議

Kc280009  2月19日午後、国民健康保険運営協議会。

 夕方は、国立駅南口での市民による、沖縄北谷町、米海兵隊による少女暴行事件に抗議のアピール行動に参加した。

 あっという間に500枚のチラシがなくなった。

 署名はないのかと、声をかけて下さる方もいて、市民の関心の高さが伝わってきた。

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2007年10月27日 (土)

トクシンさんの言葉~「戦争は差別から生まれるのです。差別があるから人を殺せるのです」

 25日夜、参議院議員山内徳信さん(元読谷村長)をお招きして、沖縄の教科書検定問題と基地問題についてのお話しを聞き、更に三多摩の各自治体での陳情・請願等の動きを報告しあう会を開いた。
 合わせて、ジュゴンが生息する美ら海、辺野古への海上基地建設に反対して座りこみの闘いを続けた漁民・住民、地域のおじい・おばあ達を描いたドキュメンタリー『海にすわる』を上映。国分寺の月桃の花歌舞団さんによるエイサーもあり、目で耳でオキナワを感じてもらえたのではないかと思う。
 平日夜にも関わらず、100人を超す参加者がいた。遠くは、熱海からの参加者もあった。

 山内徳信さんからは、「戦争の時、日本軍が沖縄にやってきた。当初は、沖縄の人達も日本軍を“友軍”と呼び、自分達を守ってくれる人達と信じた。しかし、次第に米軍に追いつめられて、いよいよとなった時には、日本軍が恐かった。おなかがすいたら、赤ちゃんは泣くより他ないのに、敵に見つかるからと、赤ちゃんの口を手でふさげ! あげくには防空壕から追い出された」などの当時の話から、今も続く基地問題についての切実なお話しをうかがう事ができた。
 トクシンさんは、「弱い者は知恵を働かす事です。風のように、水のように闘うんです。そのような思いで辺野古の海に座ったんです。ガンジーやキング牧師のように」と言われた。
 その言葉の持つ本当の重さは今の私には到底わからないと思う。しかし、非暴力の不退転の抵抗は、生存権の主張そのものであり、私が目指す政治の理想と重なると実感した。

 国立に来てほしいと参議院会館へお願いに伺った時、山内徳信さんは、「議員バッチをつけて海に座らないと、もうどうしようもない。自分はもう年だから、残りの人生を全て使って、自分より若い人達が逮捕され傷つく事がないように、住民の先頭に議員バッチをつけて立ち、国・警察と対峙する覚悟で参議院議員になりました」と言われた。何度も「いのちがけの闘い」という言葉を使われた。

 『海にすわる』の中で、国との話しあいの場でトクシンさんは怒りながら、「沖縄の海も空も国のものか!」と叫ぶ。今もなお、在日米軍基地の75%が沖縄にある。沖縄はまだ「本土の捨て石」にされたままなのだと痛感した。その沖縄の辺野古で座わり続けている住民は、沖縄からベトナム・イラク攻撃のために戦闘機が飛び立って、多くのいのちが、かっての沖縄のように失われている事に黙っていられないと闘っている。

 昨日、会にも参加していた息子が、「文科大臣って資産8億なんだって」とポツンと言った。テレビニュースでは、守屋前防衛省事務次官(沖縄担当でもあった)が、兵器専門商社から接待のゴルフ等をばく大に受けていた事を伝えていた。
 『海にすわる』の中で、住民代表の金城祐治さん(今年亡くなられた)は、「貧乏人には貧乏人の闘いかたがありますから、今日一日、体に気を付けて頑張りましょう。また明日も挨拶をしなくてはならないので、これで今朝の挨拶は終わります」と言われていた。
 何という違いなのだろう。腹の底から沸き上がる怒りを力に変え、沖縄の人たちのように、水のように、風のように、知恵を使い、闘っていきたいと思った。


P062q お話される山内徳信さん
P065q 多くの方が参加された
P097q_2 トクシンさんと私

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2007年9月29日 (土)

沖縄県民集会

 29日は沖縄で、教科書検定意見の撤回を求める県民集会が行われ、なんと目標を大きく上回る12万人もの参加がありました。

 「歴史をねじまげて、ウソを教えてもらいたくない」という高校生のアピールや、「私達はおじいやおばあから、戦争の話し(日本軍に殺されたり、手榴弾を渡され自決を迫られた等の集団自決の話し)を聞かされてきたが、おじいやおばあがウソをついていると文部科学省は言うのか」等のアピールがあったという。

 本日の声明を持って、15日、16日に200人ほどの人が沖縄から来て、文部科学省に提出し、検定意見の撤回を迫るという。遅くとも11月までに撤回されれば、教科書会社は元通りに直して印刷できるという。

 国立でも、検定撤回の陳情を出された市民が、午前と夕方、国立駅南口でチラシをまき、私も参加した。あいにくの雨にもかかわらず、自ら手をのばしてチラシを受けとってくださる市民も多く、関心の高さがわかった。

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 また、チラシまきの間に、子どもの権利条約を読む会の学習会に参加し、教育関連三法がどのように変えられたのかを勉強した。

 大きな変化は、首相が指名する文部科学大臣の権限が大きくなること。教育内容まで指導できるようになること。さらに、学校組織の序列化が進む事。校長をトップとする副校長・主幹等の配置、道徳教育の強化等、教育の独立に相反する、教育の国家統制が進む事がわかった。そのなかに地域も保護者も、学校評議会・防犯・育成会等に参加させられ組み込まれていくこともわかった。

 学校を、教科教育(学ぶ力をつける)よりも、規範意識の徹底と武道のような鍛練の場にしていくような印象を受けた。考える力、コミュニケーション力よりも、親子共に秩序に逆らわないよう叩き込んでいく教育となってきたと危惧の念を抱いた。

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2007年9月27日 (木)

参議院会館に行きました

 今日は、参議院会館に、山内徳信(トクシン)さんをお尋ねし、国立での学習会に講師として来ていただくようお願いしました。

 7月に行われた参議院選挙では、東京選挙区は、薬害エイズ国賠訴訟原告の川田龍平さん(無所属)を、全国比例では、元読谷村村長・沖縄から基地をなくす県民の会共同代表である山内トクシンさん(社民党)を応援し、2人ともに当選をはたし、未来に希望をつなげる事ができたと喜びました。

 今沖縄では、全国の高校の歴史教科書から、沖縄の集団自決に軍の関与がなかったとして、その部分を削除修正をするという検定意見の撤回を求める5万人規模の県民集会が29日に予定され、保守革新の違いを越えて、大きなうねりがおきています。

 是非、山内トクシンさんに国立に来ていただき、憲法を実践した読谷村の話し、辺野古への米軍基地の移設阻止運動、教科書問題等を語っていただきたいとお願いしました。

 トクシンさんは快諾してくださいました。「東京や地方は生きているが、国会周辺は生きていない。役人に心がない。そこを動かし、対話をさせるために、力をそそいでいる。バッチをつけて闘うのは、逮捕をさせないため。弱い私達には知恵がある。武器ではなく知恵を使うのだ」と話されました。

 国立で、教科書関連の陳情(『沖縄戦「集団自決」への軍関与を否定する教科書検定意見の撤回を求める意見書提出に関する陳情』)が、1人の差で採択された事を報告したところ、「国立では陳情を採択する議員が半数以上いる、という事は(そういう議員を選出する市民が大勢いるという)しっかりしたまちなのですね」と言ってくださいました。

 10月25日(木)夜7時から、国立福祉会館講座室で、山内トクシンさんをお招きして沖縄を考える学習会を開きます(詳細は、後日、チラシ、ホームページ、ブログ等でお知らせ致します)。
 ※変更会場=国立駅南口せきやビル7F(西友と同じビル)、開場=夕方5時50分に変更致しました。

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